「のう。お主が儂の相手か?」
「……」
「薄気味悪いヤツじゃのう……」
儂の呼びかけにも全く反応せず、すすけた鎧兜を着込んで顔すらまともにわからぬこの男。見たところ結構な体格で、ジパングでもこんな大男は皆目目にしたことは無い。あの勇者と比べると頭2つ分、いや3つ分は違うぞ。まぁこんなことは言ってはならんかの。
兎にも角にもこの男を倒さねば勇者の加勢には行けぬということか?
1対1の戦いに水を差すのはあまり気が進まぬが、今まさに勇者とやりあっておるあのカンダタという男かなりの手練れと見る。あの若い勇者1人ではつらかろうし……儂から見ても剣の筋はかなり良いが、まだ敵に対する甘さが目立つからの。
どれ、まずは目の前の貴様の声くらい聞かせろ。
「儂、高いところ苦手なんじゃよ。さっさともらうものもらって帰りたいんじゃが」
別にウソはない。本当にここは嫌なところなのじゃ。
ゆっくり空が白み始めた今、この場所の嫌さがわかるというもの。人が落ちるのを防ぐような柵など見当たることなく無愛想な風が吹きすさぶのみで、皆こんなところでよくもまぁ走ったり跳ねたり出来るもんじゃと感心してしもうた。
儂の場合、なんと言ったかのう……ああ、高所きょうなんたらとかいう病らしく、高いところがひどく苦手じゃからのう。幼い頃に村の見張り台から落ちたのが原因の様じゃが。
今とて相手を油断させるためこの階の端の端、つまり隣に草履を出すと触れる床のないような場所に立っておるが、どうもこれは長くは続きそうにないの……。
突風で飛ばされたようなときのことを考えると、足が震えてしかたがないんじゃ。
「しょ、正直なところ、早く攻めてきて欲しいのじゃ。はっ、そうか、もしやお主すでに儂の弱点を見抜いておるのか!これは大きな誤さ……」
「黙れ剣士ぃいいいいい!」
おお、しゃべったしゃべった。僅かにくぐもってはおったが、妙に甲高い声で。しゃべったというかむしろ叫んでおるな。
男の肩は先程までと違い、大きく上下し始め、兜からは何故か水が、水?水にしてはこれまた変に糸を引いておるような。
この男ひょっとして……まぁとりあえず黙れと言われたのだし、
「わかった。黙っていよう」
「なッ何?」
「………」
「…………」
「……………」
「……黙ってないでなんか喋ッ喋れぇえええええ!」
「矛盾しておるのう。ああ、ところでお主、最近煙草とやらは吸っておるのか?」
「何だとっ突然!」
「良い、答えろ」
「……す、吸ったが何が悪い!」
「いや、別にそんなことを戒めるつもりはないさ。で、どこで手に入れたんじゃ?」
「しょっ、商人からかっぱらってやった」
「なるほど、盗賊らしいのう。もしや、それは毎日吸っておらねば正気を保てぬような物ではないか?」
「……だッ、だったら何だ!」
「なるほどのう。ふむ、あいわかった!ならばそろそろやるか」
むぅ、これはいかんな。
煙草を用いた吸引はロマリア以西で盛んに行われていると聞く、ならばあの者の様子も納得が行くのじゃ。鎧兜で隠しておっても容易に分かる。
深く被った兜の下の、あごの辺りより落ちる水、おそらくソレは汗に鼻汁、さらに涙の入り交じったもの。
要するに禁断症状が既に出ておるということじゃ。多分体全体からも汗が噴き出、今甲冑の中は大変なことになっておるはず。
「戦いが長引くとお互いまずいからのう……そうじゃろう?阿片に手を染めし愚か者よ」
「!!」
「あーあー、別に怯えずとも良い。儂はこの戦いを楽しめれば其れでよいのじゃよ」
「ささ鎖国してやがるジパング人がなっなんであれの名前を知ってるンだ!」
「企業秘密じゃよ♪――――それよりもお主、兜の下はその腰に差した鉄塊を抜きたくて仕方がないという顔をしておるじゃろ?違うか」
「うっ……テメェエエエエ!」
それだけ言うと、儂に向かってその剣に手を掛け突進してきた。……むぅ、見事にイッておるわ。あ、ここでは儂もろとも塔から落ちかねんな。
というわけで場所を移らねば。
「逃げても無駄だぁあ!」
「別に逃げておらん、よっ!」
見事な横薙ぎが儂の胴を掠め、振り袖に大きな切れ目が走る。間合いの外に出たからしばらく斬りつけては来んじゃろうが、兜の隙から垣間見える血走ったそやつの目は、頑なに儂を逃がそうとはしておらぬ。
「おぉ、これはいかん。また縫わねば」
「安心しろ、そんな必要はなっ無い、す、すぐ楽にしてやる」
「そうか、肩でも叩いてくれれば楽にもなろうがのう」
「黙れぇ!さっきからおっ俺のことをおちょくりやがって!その辺の小さいのもおっお前の仲間なんだな、どんどん増援してやがる……この卑怯者が!」
また支離滅裂なことを言うと思うたが、「小さいの」というのはつまり……ふむ、遂に幻覚の症状も出始めおったか。しかしこの男、体中の体液を噴き出し、幻覚に苛まれる死の薬に体を蝕まれて尚この力を持つとは。それは素晴らしい武人だったのじゃろう、なんとか解毒してやれぬものかとも思うが、それにはやはり一度こやつを打ち倒すしかない。
「あっぱれじゃ。久々に、血の通った死合いが出来そうじゃな。あぁ、殺してはならんのか」
いかんいかん、死合いなどと……言うてももうこの哀れな中毒者には聞こえぬらしい。ならば先の失言、儂の心の中に留めよう。勇者に聞かれるとこの先厄介じゃ。
腰の刀を静かに抜き、下段に構える。相手は豪剣、ならば儂の刀のような鉄の切れ端で出来るようなことと言えば、後の先を取ることのみ。決して、こちらから動くような愚は踏めぬ。すぅ、と息を吐き、もう一度柄を握り直す。
『行けい。儂のことはもう――――』
「はっ」
気付かず思いに耽っていたのに気付き、狼狽する。相手はまだ出方を伺っておるのみで、動く気配はない。
……まずいの。こうしているとどうしてもアレを思い出してしまう。こんなことで隙を作るわけにはいかんぞ。
「いかん。のうお前、動いてはくれぬか。このままでは夢でも見ながら寝入ってしまいそうなんじゃ」
「……」
だんまり、か。こうなったら仕方がないのう、っと。
「ほれ、これでどうじゃ。隙だらけじゃろ」
刀を鞘に戻し、両腕をぶらりと下ろして無形の位(むぎょうのくらい)を取る。
己の言葉通り、相手からすると武器を納め、構えてすらいない体勢はかなり隙だらけに見えるはず。そのまま2,3度首を回したのち、軽く笑ってやるととうとう頭に来たらしく、
「……!なッ舐めてるのッかァ!」
ようやくこちらへ走り込んできた。やれやれ、待ちわびたぞ。
「舐めるなどと誰が言った?」
男が上段から目一杯の力で放ったであろう斬撃をかわすと、その剣はそのまま石畳を深く穿った。それを見て肝を冷やすが、当たらなければ同じ。
「ただし、」
うむ、鎧を着込んで鈍くなった動きは隠せぬな。死角に回り込み、足を払ってやるとあっけなく転んだ。必死にもがき、立ち上がろうとするが、儂はこやつの胴の上に座り込んでそれを封じる。
「どけェエエエエエエ!」
「どかんよ。――――ああ、続きじゃが。儂はな、そんなモノに手を出す弱さも、それを黙認しておるような人間も、」
大きく右手を振りかぶり、
「好かん!」
「ごぁっ!?」
男の胸を守る鉄板を殴りつけた。
どうもあまり良いものは着ておらぬらしく、あっけなくそれは破れ、男の生身を殴ることになった。だがそれでも男は気を失わず、
「かッ……カンダタを悪く言う、なぁっ……!」
それだけ言うと、やっと白目を剥いた。やれやれ、とんだド根性の持ち主じゃよ。
「お前の様子を見て悪く言わずにはいられぬさ……」
すまんな。
ふむ、それにしてもしかし。
「ぬおおおおおおおおおお……!」
まさか拳を押さえて悶絶することになるとは。
恐る恐る見ると、阿呆の様に赤く腫れ上がっておる。そして決定的なことに気付く。
「こっこれはいつぞや喰ろうた『ソーセージ』とやらにそっくりじゃ!なるほど美味そうじゃのあ痛たたたた馬鹿か儂は!」
儂としたことが誤算じゃったの……さすがに素手で鉄板を殴るのは駄目か。ふむ、ひとつ学んだのう。
男の意地をかけて痛みを耐え、立ち上がる。おお、儂はこれでまたひとつ成長したのじゃな。
そんな馬鹿なことより、この者の状態が気に掛かる。
それでひとつひとつ鎧を外してやると、当初の儂の予想通り男の体はびしょ濡れじゃった。兜も外してやるとやはりこちらも予想通り涙と鼻汁でぐしゃぐしゃな男の顔を、自分の服の袖を裂き、その布で拭いてやる。やれやれ、これは儂の父の形見なのにのう。布をまた買っておかねば。それはともかく今はこやつの体温を下げるため、風に当たらせなくてはならん。手遅れにならねば良いのじゃが。
「後で薬は分けてやる故、今はこれまでじゃ。耐えてくれ」
聞こえてはないだろうがの、おそらく。
未だ剣戟の音がすることに安心しつつ、そして真っ赤な拳を押さえつつ、儂はそちらへと向かった。
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